東京地方裁判所 平成11年(ワ)26445号 判決
原告 福田敏雄
右訴訟代理人弁護士 阿部一博
被告 株式会社東京相和銀行
右代表者金融整理管財人 鈴木誠
同 和食克雄
同 預金保険機構
右預金保険機構代表者理事長
松田昇
右訴訟代理人弁護士 石井和男
同 菅野茂徳
主文
一 被告は、原告に対し、金三〇〇〇万円及びこれに対する平成一一年一〇月一三日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。
二 訴訟費用は被告の負担とする。
三 この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
一 主位的
主文第一項と同旨
二 予備的
被告は、原告に対し、金三〇〇〇万円及び内金二〇〇〇万円に対する平成一一年六月一八日から、内金一〇〇〇万円に対する同年七月二一日から各支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、被告(銀行)の支店長が被告への定期預金とするとして原告から受領した二〇〇〇万円と一〇〇〇万円を自己のために使用したことに関し、原告が、被告に対し、<1>主位的に、右各金員につき被告との間で預金契約が成立したとして、計三〇〇〇万円の預金の返還を求め(付帯請求は、預金契約解約・返還催告をした日の翌日からの商事法定利率による遅延損害金の支払請求である。)、<2>予備的に、支店長が被告の事業の執行につき原告に損害を与えたものであるとして、民法七一五条に基づき計三〇〇〇万円の損害賠償を求めている(付帯請求は、不法行為の日からの商事法定利率による遅延損害金の支払請求である。)事案であり、<1>については支店長の代理権の濫用を原告が知り又は知り得たか否か、<2>については支店長の権限濫用を原告が知り又は重大な過失により知らなかったか否か、これらが主たる争点である。
一 前提事実(特記しない事実は争いがない。)
1 被告は、銀行であるが、平成一一年六月一二日、金融機能の再生のための緊急措置に関する法律(以下「金融再生法」という。)に基づく破綻措置(金融整理管財人による業務及び財産の管理を命ずる処分)を受けた。
河本英一(以下「河本」という。)は、平成八年一二月から平成一一年八月二三日ころまで、被告の千駄ヶ谷支店長を務め、その当時、被告を代理して顧客から預金を受け入れる権限を有していた(権限については弁論の全趣旨)。
2(一) 原告は、平成一一年六月一八日、河本に対し二〇〇〇万円を交付した。
右交付は原告の経営する株式会社ティー・エフ・シー(以下「ティー・エフ・シー」という。)の事務所で行われたが、その際、河本は、被告千駄ヶ谷支店長の肩書のある自己の名刺の裏に、「定期預金作成の為」二〇〇〇万円を「お預りします」と記載するとともに押印して、これを原告に交付したのであり、被告への定期預金とするとして(被告の代理人として)原告から右金員を受領した(甲一の1、弁論の全趣旨)。
(二) 原告は、同年七月二一日、河本に対し一〇〇〇万円を交付した。
右交付も右事務所で行われたのであり、その際、河本は、右同様の名刺の裏に、「定期預金作成の為」一〇〇〇万円を「お預りします」と記載するとともに押印して、これを原告に交付したのであり、被告への定期預金とするとして(被告の代理人として)原告から右金員を受領した(甲一の2、弁論の全趣旨)。
3 しかし、河本は、真実は、右各金員(以下「本件各金員」という。)を被告への定期預金とする意思はなかったのであり、これらを被告への定期預金とすることなく自己のために使用した。
4 原告は、本件各金員についてそれぞれ被告との間で定期預金契約が成立しているものとして、平成一一年一〇月一二日、被告に対し、当該各預金契約を解約する旨の意思表示をするとともに、その払戻し(預金の返還)を催告した(甲五、弁論の全趣旨)。
5 ところで、河本は、個人的に、自己を借主とする借用書を差し入れて原告から平成一〇年九月ころ三〇〇〇万円と一〇〇〇万円を、平成一一年五月ころ七〇〇万円をそれぞれ受領し、また、同年六月一一日、証券会社における原告の信用取引枠を利用させてもらって、約一五〇〇万円で株式を買い付けた。
二 原告の主張
1 前記一1、2によれば、本件各金員についてそれぞれ原告と被告との間で預金契約が成立したというべきである。
2 仮にそうでないとしても、河本が被告の事業の執行につき原告に計三〇〇〇万円の損害を与えたものというべきであるから、被告は右損害につき民法七一五条の使用者責任を負う。
三 被告の抗弁
1 原告は、本件各金員を河本に交付する際、これを同人が自己のために使用すること(代理権の濫用)を知り又は知り得たというべきであるから、本件の河本の代理行為の効果は被告に及ばない(民法九三条但書の類推適用)。
2 右1についての事情
(一) 河本が前記一5のとおり原告から三〇〇〇万円、一〇〇〇万円及び七〇〇万円を受領したのは、河本が原告から借り受けたものである。
本件の二〇〇〇万円のうち一五〇〇万円は前記一5の信用取引枠の利用に基づく債務の返済に、本件の一〇〇〇万円のうち七〇〇万円は前記一5の七〇〇万円の借入金債務の返済にそれぞれ充てられた。
すなわち、本件各金員は、その大部分が、河本の原告に対する個人的な債務の返済に充てられたのであり、このことからすると、破綻した銀行の従業員である河本からの債務の返済の見込みがないと考えた原告が、河本と共謀の上、あるいは、同人から定期預金の依頼があったのを奇貨として、原告に対する債務につき河本から被告への付け替えをしようとしたものとみるのが自然である。
(二) 原告が河本に本件各金員を交付したのは、被告が金融再生法に基づく破綻措置を受けた直後のことであり、当時、被告においては預金者の取り付け騒ぎも生じ得るような混乱した状況であった。このような時期に計三〇〇〇万円もの多額の金員を被告に定期預金として預け入れるというのは、極めて不自然である。
(三) 三〇〇〇万円もの多額の金員を名刺の裏に記載した預り証を受領しただけで預けるというのも、不自然である。
(四) 原告は、定期預金をするために本件各金員を交付したというのに、約一か月以上の長期間にわたって、通帳への記入や定期預金証書の発行についての確認をしようとしていない。このことは、河本が被告への定期預金とする意思のないことを原告においても当初から知っていたことを窺わせるものである。
3 使用者責任について
(一) 原告は、本件各金員を河本に交付する際、これを同人が自己のために使用すること(権限濫用)を知っていたか、重大な過失により知らなかったものというべきである。したがって、本件について被告は使用者責任を負わない。
(二) 仮に被告が使用者責任を負うとしても、原告にも過失があるというべきであるから、過失相殺がされるべきである。
四 原告の反論
1 原告は、平成一〇年三月ころから、被告の担当行員の工藤博司や支店長の河本からノルマの達成に協力してほしいと言われるなどして、頻回に定期預金や貯蓄預金等をしてきたのであり、本件もその一環であって、河本から支店長のノルマの達成に協力してほしいと頼まれたため、定期預金とする趣旨で本件各金員を交付したものである。本件以前に何らトラブルは生じておらず、本件においても、名刺の裏とはいえ、支店長が定期預金とするために預かった旨の書面を作成して差し入れてくれた以上、これを信ずるのは当然である。
原告は、河本が個人的に負債を抱えているとか、その返済に窮しているなどということは、全く知らなかったし、知り得るような事情もなかったのであり(前記一5については後記のような事情がある。)、本件各金員を河本が自己のために使用するなどということは、全く知らなかったし、知り得なかった。
2(一) 前記一5の三〇〇〇万円、一〇〇〇万円及び七〇〇万円は、実際には、河本から頼まれて第三者(三〇〇〇万円は河本の知人の金融業者、一〇〇〇万円は河本の義兄、七〇〇万円は河本の友人の設計士)に貸し付けるということで交付したものである。そして、これらについては、本件の時まで約束どおりに返済を受けていたのであり、原告としては、河本が個人的に負債を抱えているとか、その返済に窮しているとは知らなかったし、知り得なかった。
(二) 金融再生法に基づく破綻措置を受けたとしても、預金者は預金全額の返還を保証されていたのであるから(公知の事実)、その後に定期預金をすることに何ら不自然な点はない。実際に、破綻措置後も、多数の顧客が預金をしているし、原告も多数回にわたり多額の預金をした。
(三) 名刺の裏に記載した預り証を受領しただけで預けたことに何ら不自然な点はない。
被告においては、顧客の自宅等で現金を受領する方法により預金を受け入れることも多く、その場合には、行員が携帯のハンディ端末で預り証を作成していたが、支店長に限っては、ハンディ端末を与えられていないため、手書きの領収証を作成し、あるいは名刺の裏に記載するだけということも少なくなかった。現に、本件以前にも、河本が原告から預金を受け入れるに当たり、本件と同様に名刺の裏の記載だけということがあったが、何の問題も生じていなかった。
(四) 原告は、通帳や定期預金証書の管理についてはティー・エフ・シーの経理担当従業員に任せていたのであり、その確認をしなかったのは本件の時に限ったことではない。
原告は、本件各金員を河本に交付した後の平成一一年七月二六日、たまたま、不動産取引のために現金が必要となり通帳の残高を確認する必要があって通帳を見た時、本件各金員に係る定期預金が記帳されていないことに気付き、直ちに河本に連絡したところ、同人が、同月二七日に原告の自宅に来て、その場で土下座をして、「申し訳ありません。実は、お金に困っている知人がおり、その人に一時的に貸してしまった。」と述べた(これも嘘であったが。)。そこで、原告が問いただしたところ、河本は、同年九月末までには必ず処理すると述べ、その旨を名刺の裏に記載するとともに押印して、これ(甲一の3)を原告に交付した。
第三当裁判所の判断
一 前記前提事実によれば、民法九三条但書の類推適用をいう被告の抗弁が認められない限り、本件各金員につき原告の主張するとおり原告と被告との間で預金契約が成立したというべきであって、その預金の返還及び遅延損害金の支払を求める原告の主位的請求は全部理由があることになる。
二 そこで、右抗弁について検討する。
1 前記前提事実に証拠(甲五、六、証人河本英一、原告本人のほか、各項に掲げるもの)及び弁論の全趣旨を併せると、以下の事実が認められる。
(一) 原告は、個人として、また、飲食業等を営むティー・エフ・シーの代表取締役として、しばらく中断していた被告(千駄ヶ谷支店)との銀行取引を平成一〇年三月ころ再開し、以後、頻回に普通預金のみならず数百万円から数千万円単位の定期預金や貯蓄預金等をするようになった(甲三の1ないし4、四の1ないし5)。右再開は同支店行員の工藤博司(以下「工藤」という。)の勧誘によるものであったが、間もなく、河本も原告と知り合い、三人で一緒に食事をしたりゴルフをするなどして親しくするようになった。
(二) 被告は、原告から直接現金を受領する方法で定期預金又は貯蓄預金を受け入れる場合も少なくなかったが、その場合の手続は概ね以下のようなものであった。
被告において、貯蓄預金については、すべて通帳に記帳する扱いであったが、定期預金については、通帳に記帳する扱いと、通帳には記帳せず定期預金証書を発行するだけの扱いがあったところ、原告については、工藤が、ティー・エフ・シーの事務所に赴いて、原告から直接現金を受領し、携帯のハンディ端末で被告名義の預り証を作成して、これを原告に交付し、通帳記帳の扱いをする場合は、ティー・エフ・シーの経理担当従業員の松田から通帳を預かって、これを現金と一緒に持ち帰り、所定の入金手続をした上、後日、記帳された通帳を松田に返還し、また、定期預金証書を発行する扱いをする場合は、現金のみを持ち帰り、所定の入金手続をして定期預金証書を発行し、後日、その定期預金証書を松田に交付していた。なお、原告は、定期預金につき通帳記帳の扱いとするか定期預金証書発行の扱いとするかについて被告側に任せていた。
河本も、本件以前に一、二回、ティー・エフ・シーの事務所に赴き、「支店長のノルマがあるので協力してほしい。」などと言って、原告から直接現金を受領する方法で定期預金又は貯蓄預金の受入れをしたことがあった。河本は、右のような場合、支店長であることからハンディ端末を携帯しないため、被告所定の取次帳を手書きで作成して、これを交付したり、取次帳も携帯しないときは、自己の名刺の裏に預金のために預かった旨を記載して、これを交付していた(なお、右にいう本件以前の一、二回の時に、いずれの方法が執られたかは定かでない。)。
(三) 河本は、平成一〇年九月ころ、原告に対し、「前田という金融業者に三〇〇〇万円を融資してやってほしい。借主名義人には自分がなる。」と言って、自己名義の借用書を差し入れた上、原告から三〇〇〇万円を借り受けた。
また、河本は、そのころ、原告に対し、「義兄が経営している印刷会社の機械が壊れてしまい、今すぐ機械を購入する資金が必要なので、一〇〇〇万円を貸してやってくれないか。借主名義人には自分がなる。」と言って、自己名義の借用書を差し入れた上、原告から一〇〇〇万円を借り受けた(甲八の1)。
さらに、河本は、平成一一年五月ころ、原告に対し、「友人の設計士に運転資金として七〇〇万円を貸してやってくれないか。借主名義人には自分がなる。」と言って、自己名義の借用書を差し入れた上、原告から七〇〇万円を借り受けた。
ところで、河本は、個人的に多額の負債を抱えて、その返済に窮していたのであり、以上の三回の借受けはいずれも右返済に充てるためのものであって、原告には嘘をついていた。
なお、原告は、平成一一年六月一〇日、河本から、「被告は以前から破綻するという噂が流れていたが、外資と提携するという情報が入った。明日の午後にその発表があるはずなので、明日の午前中に被告の株を買っておきたい。今すぐに資金を用意することができないので、原告の信用取引枠を利用させてもらえないか。」と頼まれて、これを了承し、同月一一日午前、河本のために約一五〇〇万円分の被告の株式を買い付けた。
(四) 本件の二〇〇〇万円のうち一五〇〇万円は、右(三)の信用取引枠の利用に基づく原告に対する債務の返済に充てられ、また、本件の一〇〇〇万円のうち七〇〇万円は、右(三)の七〇〇万円の借入金債務の返済に充てられた。
なお、右(三)の三〇〇〇万円の借入金は平成一一年一月に返済されていたし(甲七)、右(三)の一〇〇〇万円の借入金についても、平成一一年七月ころまでは、約定に従って分割弁済がされていた(甲八の2)。
(五) 本件各金員の交付は、被告が金融再生法に基づく破綻措置を受けた直後に行われたが、その際、原告は、右破綻措置がされたことを知っていたものの、そのことについて特に河本に問い合わせることはしなかった。
原告は、右破綻措置後も、河本に本件各金員を交付した以外に、被告への定期預金、貯蓄預金及び普通預金をしていた(甲三の2ないし4、四の5)。
(六) 河本は、平成一一年七月二七日、自己の名刺の裏に、六月一八日の二〇〇〇万円と七月二一日の一〇〇〇万円の件については「9月末日までに処理を致します。」と記載するとともに押印して、これを原告に交付した(甲一の3)。
(七) なお、本件以前には、原告と河本、工藤又は被告との間で何らかのトラブルが生じたということは全くなかった。
2 前記前提事実及び右1の認定事実に基づいて検討する。
(一) 確かに、<1>原告から河本に交付された本件各金員の大部分が、河本の原告に対する個人的債務の返済に充てられたこと、<2>本件各金員の交付が、被告が金融再生法に基づく破綻措置を受けた直後に、しかも、単に河本の名刺の裏に定期預金のために預かった旨が記載されたものを渡されただけで行われたこと、<3>本件各金員の交付について定期預金証書の発行又は預金通帳への記帳がされたかどうかにつき、平成一一年七月二六日までこれを原告が確認しようとした形跡がないこと(原告本人は、平成一一年七月二六日に、たまたま、不動産取引で現金が必要になり通帳の残高を確認する必要があって通帳を見たところ、本件各金員に係る定期預金の記帳がないことに気付いた旨供述している。)、これらの事実は、河本が本件各金員を被告への定期預金とするのではなく自己のために使用するものであることを原告においても知っていたのではないかとの疑惑を抱かせないではない。
(二) しかしながら、まず<1>についてみると、原告は河本に対し個人的に金銭を貸し付けていたものの、それらは、いずれも、河本自身が必要とするということではなく、同人の知人や親戚の者が必要とするのでこれらの者に貸してやってくれと頼まれて貸し付けたものであり、しかも、約束どおりに返済されていたというのであるから、右のような貸付けの事実があったからといって、河本が個人的な負債を抱えているとか、その返済に窮しているということを、原告において知っていたと推認することはできない。なお、被告は、原告に対する債務につき河本から被告への付け替えをするために原告と河本が共謀して本件を仕組んだかのように主張するが、仮にそのような共謀があったとすれば、後に疑いをかけられることを慮って名刺の裏の記載だけで済ますようなことをするはずがないというべきであり、本件全証拠を検討してみても、右共謀の事実を認めるに足りる証拠はない。
次に<2>についてみるに、金融再生法に基づく破綻措置を受けたからといって、預金者に預金が返還されなくなるわけではなく、現に、原告も、その後も本件以外に被告への定期預金、貯蓄預金及び普通預金をしていたというのであるから、原告が右破綻措置の直後に被告への定期預金とする趣旨で本件各金員を交付したとしても、必ずしも不思議ではない。また、名刺の裏の記載だけで金員を交付した点についてみても、それまで長期間にわたり原告と河本、工藤又は被告との間でトラブルが生じたことは全くなかったし、本件以前に河本の勧誘に応じて定期預金又は貯蓄預金をしたことが一、二回あったところ、その時にも、河本は、工藤とは違って、ハンディ端末を携帯しておらず、取次帳を手書きで作成し、あるいは、名刺の裏に記載するだけであったというのであるから、後者であった場合はもとより、前者であった場合にも、本件において名刺の裏の記載だけであったことに原告が特に疑問を抱かなかったとしても、直ちに不自然ということはできない。
<3>についてみるに、原告本人の供述を前提とすると、原告は、本件の二〇〇〇万円を交付した後、一か月以上も、右金員に係る定期預金の通帳記帳や定期預金証書発行について確認しようとしなかったことになり、不自然な感を免れない。しかし、前記第二の四(原告の反論)2(四)の主張に沿う原告本人の供述及び陳述記載(甲五)は、前記1(六)の事実並びに証人河本の証言及び同人の陳述記載(甲六)によって一部裏付けられてもおり、直ちに排斥することができない。
したがって、<1>ないし<3>のような事情があるからといって、それだけでは、本件各金員を河本が自己のために使用することを原告において知っていたと推認することはできない。
(三) 他に、本件全証拠を検討してみても、右知情を認めるに足りる的確な証拠はない。
かえって、証人河本の証言及び同人の陳述記載(甲六)は、概ね原告の主張並びにこれに沿う原告本人の供述及び陳述記載(甲五)に沿うものであって、要するに、個人的負債を抱えていることを隠し続け、かつ、自己のために使用するということを隠し原告を欺罔して本件各金員を交付させたというものであるが、これを前提とすると、原告に対する詐欺の罪が成立することが明らかであるにもかかわらず、そのことを知りつつ敢えて右のように明確に証言しているのであり、その証言態度からしても、右証言は大筋において信用することができるといえる。
(四) 次に、本件各金員を河本が自己のために使用することを原告において知り得たといえるかどうかについて検討する。
一般的には、名刺の裏の記載だけであったとすれば、疑問を抱くべきものということができるが、本件においては、前記のように、疑問を抱かなかったとしても特に不自然ではないという事情があるから、名刺の裏の記載だけであったことから直ちに知り得たということはできない。
また、河本が個人的に負債を抱えているとか、その返済に窮していることを原告において知り又は知り得たというのであれば、本件各金員を河本が自己のために使用することを原告において知り得たということができるが、前記のとおりであって、河本の個人的負債のことを原告において知り又は知り得たということもできない。
他に、本件全証拠を検討してみても、本件各金員を河本が自己のために使用することを原告において知り得たといえるだけの事情を認めるに足りる証拠はない(なお、本件における被告の主張は、主として原告の悪意をいうものであり、原告の過失については必ずしも具体的な指摘がない。)。
三 以上の次第で、原告の主位的請求は全部理由があるというべきであるから、これを認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六一条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 貝阿彌誠)